家族の悩みを軽くするためにできること|家族がしんどいと思ったら?
家族とは、血や紙(婚姻届など)や情でつながっている人々。
よって、最も近くて、ありのままでいられて、信頼できて分かり合える関係と一般的にはいわれています。
正直、思うのです。
「分かり合えないときもありますよね?」
例えば、
「誰かイイ人いないの?」と詮索する親と、仕事も趣味も充実していてまだまだ結婚したくない子。
趣味のモノを大量に集めまくる収集癖の夫と、ウチにあまりモノを置きたくない妻。
良かれと思ってアレコレ言う姑と、なるべく自由奔放でいたい嫁。
・・・
家族といえども人それぞれ考え方や感じ方が違うので、程度の差こそあれ、行き違いや勘違いなどが生じるのは致し方ないことではないでしょうか。
100%分かり合うことは難しい。
だからこそ、お互いに分かり合おうとする気持ちが大切だと私は思っています。
バリバリ本音トークでおおくりしている当ブログ。
建前やきれいごとはちょっと小脇に置いておいて、家族と分かり合えなくて「家族がしんどい」と感じたときにどうしたらいいのかを、建設的に掘り下げてみたいと思います。
結婚に困ったことで、結婚探究家になってしまった私。
結婚にまつわる黒歴史のひとつが「良い嫁のフリをして自爆した件」・笑
当時は笑うに笑えない話でしたが、現在は多少笑って話せる当件を題材に考えてみましょう。
ザックリとしたあらましは、次の通りです。
結婚を機に生まれ育った街を離れ、長男の嫁となった「私」。
夫が生まれ育ったこの街には、夫の親族が勢ぞろい。
柄にもなく良い嫁に徹して、義家族という秘境で異文化交流を図るも、行き違いが生じてしまう。
これにより、夫婦仲もギクシャクして離婚の危機に!?
よくある話です。
ここで、当事者「私」の心境を掘り下げてみましょう。
たいていの人間は「自分は良い」と思って、生きています。
「自分は良い」と思っていることが、自分の言動となって表れています。
当件なら、当事者「私」は良くて、私以外は良くないことになります。
しかし、本当にそうでしょうか?
上記の道理で考えれば、私以外の各々も良いと思ったうえで言動しています。
ただそれが、「私」にとっては良くない言動に感じられ行き違いがおこったのです。
では、誰が良くて、誰が良くないのでしょうか?
「犯人捜しは、果てしなく続いてしまう。」
時が経ち、気持ちがずいぶん落ち着いて、「私」は気づいたのです。
善と悪、正義と不義、被害者と加害者、この二項対立からは答えが見つからないということを。
「じゃあ、どうする?」
「私」は何を望んでいるのか、自問自答しました。
気持ちをスッキリするために相手を犯人と決めつけて謝罪を求めるより、解決策を見出したい。
解決策は、離婚なのか・・・
その前に、まだやれることがきっとある。
だけど、それは何かわからない。
「私」の親兄弟には、もう心配をかけたくない。
誰か、力になってほしい。
そのときの「私」が心底思ったことです。
誰か、力になってほしい。
それは、心が弱いからなのでしょうか?
私は、そうは思いません。
「家族がしんどい」と少々グチを言って、心のガス抜きをすれば済むときもあります。
ですが、それでは済まないときもあるのです。
「家族がしんどい」問題を自分ひとりで抱えているのではなく、力になってもらえる他者に現状を開示する。
そのとき、自分で何とかすべきではないかとか、心配をかけたくないとか、プライドが許さないとか、弱みに付け込まれたらどうしようとか、さまざまな心境が入り混じります。
「助けて!」と声を上げること。
その勇気ある行動から、その人にとっての解決策を見出す一歩がはじまるのです。
では、誰に力になってもらえばいいのでしょうか?
このことに私自身も大変苦心しました。
なぜなら、世の中には、「家族がしんどい」とお悩みを相談して良い相手とそうではない相手がいるからです。
その問題に適した専門家のところへ相談に行くのが最善ですが、躊躇するのであれば、まずは身近な人に話してみてはいかがでしょうか?
こちらにあてはまる気の置けない友人なら、安心して話せるでしょう。
① あなたのことを真摯に考えてくれて、スピリチュアル、マルチ商法、高額セミナーなどの類でない人
② 人の不幸をほくそ笑むのではなく、前向きに人生に向き合おうとする人
③ 気軽に話せて、建設的で多角的な意見をもらえる人
その際、このような一言をもらえるかもしれません。
「○○に行って話してみたら?」
「○○で相談してみたら?」
たかが「家族がしんどい」だけのことと思っても、話す側と聞く側だけでは抱えきれない問題は、やはり然るべき対応先や専門家につながることをおすすめします。
過去に私も信頼のおける専門家のもとを訪れ、解決につながる手立てをご教授いただいたことがあり、その大切さを身をもって経験しました。
最後になりますが、「自分を生きるのは自分」です。
あなたが、誰かのために生きているわけでもなく、誰かに強要されたり犠牲になる必要はありません。
あなたが、まず自分を大切にして、自分らしくあること。
それが、結婚学校がうまれた理由であり、私の心からの願いです。
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