夫婦円満に夫と苦手な家事を協力し合うには|沈黙の時間
「待つ」
夫・X氏に出逢って、一番強く心に留めたこと。
「すぐに結果を出すことが、カッコイイ。」
すぐデキて、すぐ分かるのは当然だったあの頃、私の辞書には「待つ」の二文字は無かった。
「なんで、こんなこともできないの?」
「なにグズグズしているのよ!」
他者に対しても、すぐに結果を出すことを求めていた。
待てない。時間も、人の可能性も。
口にこそ出さなかったが、心の中で渦巻く毒素は全身から醸し出されていたに違いない。
人として大切なことを勘違いしていたあの頃。
「人に厳し過ぎる」と言われた。
仕事はそこそこデキても恋愛は全くデキない私は、その真意が分からなかった。

結婚当初、見よう見真似で家事に取り組んでいた夫・X氏。
家事に不慣れながら、彼は彼なりに一生懸命だった。
しかしながら、「ありがとう」の前にモノ申したくなる。
~洗ってくれたお皿の裏側に、まだ洗剤のアワが残っている~
「待つんだ、私。」
アワ~ アワ~ 心のなかで叫びつつ、こっそりお皿の裏側を洗い流す。
きっといつか、お皿洗いが上達すると願って。
それから幾年が経ち、
「これって、詐欺じゃない。」
お皿を洗いながら、なげく夫・X氏(笑)
亭主関白の父をみて育った夫は、
将来自分が休日の朝にお皿を洗うとは想像していなかったと思う。
結婚という異文化交流がはじまると、
生まれも育ちも違う者同士が、以前とは異なる新たな文化を形成しはじめる。
どちらか一方の文化をそっくりそのまま継承するとは考えにくい。
なぜなら、結婚は二人で築いていくものであり、
それぞれの文化を主張し合い折衷していくなかで、以前のものから変化を遂げる。
「(私にとって)当たり前は、(夫にとって)当たり前ではない。」
そして、
「(夫にとって)当たり前は、(私にとって)当たり前ではない。」
夫婦円満であるために、そう肝に銘じる日々なのだ。


