至福の人間関係、夫婦関係とは?価値観の違いを認め合い受け入れること

「村八分」
なんと恐ろしい言葉だろう。

似たような意味で、追放、疎外、除け者、仲間外れ、排除・・・

薄暗いなかに、一人ぼっちでしゃがみこんでいる姿。
こんな姿が思い浮かぶ。
さみしさと、悲しさと、悔しさとがごちゃごちゃに入り混じった気持ち。
きっと誰もが、心地いいはずがない。

もし、あなたが子供を持つ親なら、子供たちに伝える大切なこと。
「みんなと仲良くしようね」

それなのに自分の子供が、
誰かをいじめたり、いじめられたりしたら、切なくいたたまれない気持ちになるだろう。

しかし、子供の世界はオトナの世界の鏡。
オトナのすることを、子供たちは見ていて模倣する。
だから、子供の世界のいじめは、オトナの模倣。
「みんなと仲良くしようね」といっているオトナがいじめの元凶だ。

我が強ければ強いほど、
自分とは違う他人の価値観や習慣が認められない。

仲間意識が強ければ強いほど、
似たもの同士とは違う意見や志向の人を除け者にしたがる。

地元愛が強ければ強いほど
土着のつながりと馴染んでいる風土とは違う、新たなつながりや見慣れない習慣、思考があると村八分にしたがる。

オトナのいじめや村八分。
理性も知識も高いはずなのに、どうして起こるのか?

いじめや村八分は、未知への「恐れ」と「無知」。そして、それに加わる人がラクをしたいから。
自分と他者との違いを認めたくないし、受け入れたくない。

自分の当たり前が通用せず、それを受け入れることへの恐れ。
もしくは、どのように受け入れたらいいのかわからない無知。
我を通すのをやめたくない。だって、相手の尊重するのはイヤ。
未知のモノを知る努力をしたくない。だって、学ぶのはイヤ。
張りぼてのような虚勢を変えたくない。だって、謙虚になるのはイヤ。
・・・
認め合う|北海道十勝でありのままの自分らしい結婚、婚活に気づく語りあい学びあいの場『結婚学校』

それとは逆にフレンドリーな人や開かれた社会は、「好奇心」と「柔軟性」がある。
だから、自分と他者との違いを認め、受け入れられる。

新しく出会う人に対して好奇心がわいて気軽に接する。
好奇心があるからもっと相手のことを知りたいと思って、じっくり相手の話を聴く。
違いを楽しめるのは好奇心と柔軟性の為せるわざ。
柔軟性は自分をよりよく変化できる。
・・・

複雑で多様化する社会。
さまざまでいろいろな人や思考や世界があふれている。
その人は、その場所は、
見せかけの親愛なのか開かれた親愛なのか、今 真意が問われている。

コメントお待ちしています